「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」。「アラビアの怪人」と呼ばれたシーク。必殺技はキャメルクラッチだが、二大悪党との試合はどんな内容に?
①ザ・シーク(1926年6月9日~2003年1月18日)
劇画「プロレススーパースター列伝」では、ケチで邪悪でパフォーマンスは他人のパクリ、などと散々な描かれ方だったザ・シーク。一体どんなレスラーだったのだろう? アメリカ・ミシガン州ランシング出身で、レバノン系アメリカ人(中東生まれではなかった)。本名「エドワード・ジョージ・ファーハット」(何となく高貴な感じ)。身長は183cmで、小柄。悪役レスラーとしてリングに上がる一方、デトロイト地区のNWA系プロモーターとしても活躍。「デトロイトの帝王」とも呼ばれた。ECWや短い期間だったが新日本プロレスにも来たサブゥーは彼の甥。スカウトされてプロレス入り。全盛期は50年代らしく、1955年11月18日にルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。「火炎攻撃」など独特の演出をやりだしたのは60年代だそうで、ドリー・ファンク・シニア、フリッツ・フォン・エリックといった大物と対戦。1964年にデトロイト地区のプロレス興行権を購入、自身の団体を立ち上げ。「プロレススーパースター列伝」ではこの頃のことが描かれており、「目立ちたがり」のシークが「人気上昇中」のブッチャーを利用して荒稼ぎする描写だった(しかし、「列伝」は作り話が多いことで有名。そんな二人の日本での対決はどんなものになるか?)。80年代になってデトロイトは不景気。団体は閉鎖、今回紹介する二試合の時点ではピークを過ぎた状態。
②「ザ・シーク vs. アブドーラ・ザ・ブッチャー」
(昭和55年12月1日:札幌中島体育センター)
(内容)レフェリーはジョー樋口。まずブッチャーが入場。頭をファンにペタペタ触られる。シークがいつの間にかイスを持って入場し、奇襲攻撃。場外戦。さらにシークは何か尖ったモノで凶器攻撃。早くも流血戦。警告したり、カウントしたりのジョーだが、シークはお構いなしでチョーク攻撃。ようやくブッチャーが地獄突き、ヘッドバット、フォークで反撃。何者かがシークに加勢して「シークの反則負け」。キラートーア・カマタも参戦してブッチャーをフォロー。その後もシークとブッチャーは花道、客席でつかみ合いを展開した。反則のやり合いで「試合」としては微妙。これもまたプロレスだが、「技の攻防」という点ではあまり面白くなかった。テクニックではなく「レスラー同士のやりとり」を見せるのが全日本プロレス。いかにも全日本らしい試合だった。
③「ザ・シーク vs. タイガー・ジェット・シン」
(昭和56年12月9日:札幌中島体育センター)
(内容)翌年にはシンと対戦。レフェリーはジョー樋口で、会場も同じ札幌中島。シークが周囲をニラみながら入場。そしてシンがサーベルを持って上田馬之助と入場。シークが凶器攻撃。シンがやり返して流血戦。シンがトーキック。場外戦。先にリングに戻ったシンがリングアウト勝ち。試合時間は何と「2分21秒」。その後も場外でやり合って終了。ブッチャー戦と同じような内容。悪役同士の対戦は「何かやってくれそう」といった期待感があるが、実際にはあまり面白い試合にはならない。「ブルーザー・ブロディ vs. アブドーラ・ザ・ブッチャー」なども「つかみ合いのケンカ」みたいな感じで面白い試合ではなかった。キャラで勝負するレスラー同士の試合はドタバタしたものになりがち。それが新日本プロレス(テクニック指向)のファンが全日本(キャラ指向)を嫌った理由(当時)。今ではどの団体も「派手な動きを見せるプロレス(アメリカ指向)」になった感があるが・・・。