2025年4月18日金曜日

プロレス列伝「アブドーラ・ザ・ブッチャー:東洋の巨人との戦い」

「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」。「黒い呪術師」と呼ばれた男。必殺技は地獄突き&毒針エルボー。略歴、日本での活躍、ジャイアント馬場との一戦を紹介。

プロレス列伝「アブドーラ・ザ・ブッチャー:東洋の巨人との戦い」

アブドーラ・ザ・ブッチャー(1941年1月11日~)

ミステリアスなレスラー、ブッチャー。しかし漫画『プロレススーパースター列伝』に載っていたエピソードと実際は全然違う。カナダ出身(「スーダン出身」ではない)。本名「ローレンス・ロバート・シュリーブ」。「ゼーラス・アマーラ」というのは売れる前に名乗っていたリングネーム。ニックネームは「黒い呪術師」。入場テーマ曲は『吹けよ風、呼べよ嵐』。ブッチャーと言えば「カラテスタイル」。空手は警察署で行われていた無料講習で習った、とのこと(「ガマ・オテナから地獄突きを習った」というのは全くの作り話。ホントだったら面白かったのに)。1961年、プロレス入り。主戦場はカナダ。NWA世界タッグ王座(バンクーバー版)を奪取。ジン・キニスキーのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦したことも(この頃は「狂乱の反則野郎」ではなく「エリート」だった?)。日本には1970年、日本プロレスに初来日。タッグ戦でジャイアント馬場をフォールするなどの活躍で人気。『ワールドリーグ戦』には「アフリカ代表」として参戦。今回紹介するのはその時の試合。


アブドーラ・ザ・ブッチャー vs. ジャイアント馬場

(1971年5月19日:大阪府立体育会館)

(内容)日本プロレスで行われた「第13回ワールドリーグ戦」の優勝決定戦(当時は馬場と猪木のライバル意識が強く、このリーグ戦には様々なエピソードがあったとか)。ブッチャーは白いロングタイツ姿。身体は細めで、「額のキズ」はまだ無い(ように見える)。馬場はこの頃には既に細い体つき。ニラみ合いが続き、ブッチャーが地獄突き、ヘッドバット、場外でテーブル攻撃。馬場はカウンターキック、逆水平(いわゆる「ババ・チョップ」)、場外でお返しのテーブル攻撃(やられたらやり返す馬場。結構、気が強い)。ブッチャーが凶器攻撃(使用後はタイツに隠す)。チョップ合戦は馬場が優勢。さらに馬場が鉄柱攻撃(場外)、十六文キック、三十二文ロケット砲。ブッチャーがランニングエルボーを狙う。かわす馬場。そのままカバーして馬場が勝利、優勝。最後はどんくさい負け方をしたブッチャー。あのエルボーをよけられたら勝てない。エルボーで勝つか、そうでなければ反則負け、両者リングアウトがブッチャーの「いつものパターン」。


その後

1972年に馬場が全日本プロレスを旗揚げ。ブッチャーは全日本の常連に。いつから狂乱殺法を行うようになったのだろう? デストロイヤーとの抗争はかなり凄惨なものだったという話からすると全日本時代にエスカレートしていったのではないだろうか? 1977年の『世界オープンタッグ選手権』ではテリー・ファンクにフォーク攻撃。新日本にやって来た時には無惨なほどの額のキズ。その一方で河口仁の漫画『愛しのボッチャー』のモデルになったり、CMに出演したりの人気。著書『プロレスを10倍楽しく見る方法』『続・プロレスを10倍楽しく見る方法』も(「ゴジン・カーン」なる人物が書いたらしい。ブッチャーは名前を貸しただけ?)。日本以外ではプエルトリコWWC、アメリカWCWに参戦。新日本プロレスに「IWGP」に参戦するという名目で登場したときはアントニオ猪木と特別試合。結局、新日本ではあまり活躍することなく、最後は猪木にフォール負けして全日本にカムバック(ジャイアント・キマラとのユーモラスなタッグが人気に)。その後はインディ団体(東京プロレス)で高田延彦と対戦するなど、全盛を過ぎても試合会場を盛り上げた。プライベートでは離婚や訴訟。苦労が多い人生。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿