「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」。「千の顔を持つ男」「仮面貴族」と呼ばれたマスカラス。入場曲『スカイ・ハイ』も有名。レイスとの王座戦はどんな内容に?
①ミル・マスカラス(1942年7月15日~)
謎のマスクマン、マスカラス。本名は「アーロン・ロドリゲス・アレジャーノ」。と言われても、ずっとマスクを被ってきたから素顔を見せたとしても「おお、あいつが正体だったのか!!」とはならない。メキシコ出身。学生時代からレスリングとボディビル(腹にタオルを巻いて身体を引き締めるのが習慣らしい)。1965年7月16日にデビュー。NWAロサンゼルス地区を主戦場にベビーフェイスとして活躍。斬新なデザインの覆面だったため、日本では「悪魔仮面」などと呼ばれたことも。1970年代、フリッツ・フォン・エリックの「NWAビッグタイム・レスリング(後のWCCW)」に参戦。WWWF (後のWWF)にも参戦(1978年、WWWF王者スーパースター・ビリー・グラハムに挑戦)。ヨーロッパに遠征し、ローラン・ボックと対戦(敗退)。俳優としても活動し、多くの映画に出演。日本での活躍としては1971年2月、日本プロレスの『ダイナミック・ビッグ・シリーズ』に初来日(来日第1戦で星野勘太郎をダイビング・ボディ・アタックで下す。スパイロス・アリオンと組み、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲が保持していたインターナショナル・タッグ王座に挑戦。猪木との最初で最後のシングルマッチも行われた)。1973年10月からは全日本プロレスに参戦。『サマー・アクション・シリーズ』など夏場のシリーズに参戦。「マスカラス」と言えば「マスク」。試合用マスクの上に別のマスク(オーバーマスク)をかぶって、それをファンにプレゼントするのがパターン。試合用マスクのデザインは基本パターンがあるが、オーバーマスクは様々なデザイン。そのため「千の顔を持つ男」と呼ばれる。弟ドス・カラスも人気レスラー。ブルーを基調としたマスクは兄よりもカッコイイ、と評判。甥のドス・カラス・ジュニアとシコデリコ・ジュニアもレスラー。数々の王座を獲得したマスカラスだが、最も有名なのが「IWA世界ヘビー級王座」。この王座は「1970年代中盤に活動していたアメリカ北東部の独立団体」が認定するタイトルで、日本の国際プロレスにあったIWA王座とは別物、とのこと。
②ハーリー・レイス vs. ミル・マスカラス
(1980年9月12日:愛知県一宮)
(内容)「サマーアクションシリーズ」で王者ハーリー・レイスの持つNWA世界ヘビー級王座にマスカラスが挑戦。ヒョウ柄のオーバーマスクとマントっぽい布を身につけたマスカラス。ゴング前、オーバーマスクをファンにプレゼント。レイスは赤のショートタイツ。レフェリーはジョー樋口。試合は一進一退で互いの得意技を出し合う展開。先制攻撃のマスカラスがクロスチョップ、ボディプレス。そして、ヘッドロック、固め技、トップロープからのボディアタック、場外ダイブ、ブレーンバスター、(場外で)鉄柱攻撃、サイドスープレックス、ドロップキック、ハーフボストン、トップロープからのボディアタック(二度目。かわされて無様な形で落下)。レイスはブレーンバスター、客席で乱闘、急所攻撃、ニードロップ、エルボードロップ、パンチ、テーブル攻撃、パイルドライバー、ヘッドバット(スカ)、スリーパー、バックドロップ。場外のレイスにトペを決めるマスカラス。しかし、レイスがブレーンバスター。そのまま両者リングアウト。全体を通して見ると、やはりレイスの「重さ」が試合を支配していたような気がする試合。レイスがおなじみ「コーナーに振られて場外に落下(後、リック・フレアーが継承)」「相手の技にオーバーに倒れる」「わざとらしくコーナーに登ってデッドリードライブされる」を見せるなど、余裕の試合運び。マスカラスにとって最悪だったのは得意中の得意である必殺技「トップロープからのボディアタック」をよけられたこと。実にカッコ悪い落下。相手が技を受けてくれないとカッコ悪くなってしまうところが「マスカラスの限界」だった。
③その後
レイスは王座獲得、王座転落を繰り返しながらフェードアウト。WWFで試合。WCWではベイダーのセコンドに付くなどの活動。マスカラスは「仮面貴族」のブランドを保持。ギャラもプライドも高く、1990年代には「W★ING」「WAR」「みちのくプロレス」といったインディ団体に登場(高額のギャラはインディ団体にはかなりの負担だったろう)。2012年にWWE殿堂入り。レスラー仲間には嫌われていた、という話もあるマスカラス。決して大きくない身体でやっていくには「嫌われるぐらいのプライドの高さ」が必要だったのだろう。
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