2022年12月4日日曜日

アントニオ猪木:特集(14)「異種格闘技編」「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」

世界一のレスラー、猪木の異種格闘技戦シリーズ。「vs. アノアロ・アティサノエ」「vs. レオン・スピンクス」「vs. ショータ・チョチョシビリ(初戦・再戦)」を紹介します。

アントニオ猪木 vs. アノアロ・アティサノエ

(1984年(昭和59年)9月20日:大阪府立体育館)

アントニオ猪木:特集(14)「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」

(内容)小錦の兄アティサノエと対戦。「異種格闘技戦」ということだが、アティサノエにはどういった格闘技の経験があるのか? 民族衣装に杖を持って入場のアティサノエ。セコンドにはガッツ石松。猪木は赤いガウン(背中に太陽がデザインされた最も有名なガウン)。セコンドには藤波辰巳、山田恵一(素顔のライガー。ちょっと蝶野っぽい)。両選手におねえさんから花束贈呈。「1R3分 10回戦」。アティサノエを異常に警戒する猪木。カーリーヘアで見た目がインパクトのアティサノエはボディスラム、ハンマーパンチ、ヘッドバット、チョーク攻撃。猪木は張り手、腕ひしぎ。相手の大きさに戸惑うような動きだった猪木だが、5Rに一気に爆発。アリキックからの延髄斬り三連発。そしてバックドロップで3カウント勝利。猪木が最後はカッコ良く勝利。お客も沸いていた。アティサノエの動きが「プロレス」だった一戦。それって「異種格闘技戦」ではないのでは? という気も。アティサノエはその後、新日本に入門し、前座で試合をしていたようだがフェードアウト。2008年、心不全で亡くなった(51歳)。


アントニオ猪木 vs. レオン・スピンクス

(1986年(昭和61年)10月9日:両国国技館)

アントニオ猪木:特集(14)「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」

(内容)元ボクシング世界ヘビー級王者スピンクス。「モハメド・アリに勝った男」として有名ではあるが、それ以降は敗北が多く、サッパリ。どんな試合を見せるか? 白い闘魂タオルの猪木。赤いグローブ着用。セコンドには坂口征二、木村健吾、星野勘太郎、越中詩郎、蝶野正洋。エプロンサイドには橋本真也、クリス・ベノワ。スピンクスは黒のグローブ、黄色のトランクス。リングアナはボクシング界の有名人ジミー・レノン。レフェリーはガッツ石松。「1R3分 12回戦」。共にジャブ。しかし、ボクシングではスピンクスの方が上。連打で攻められ、猪木は何度もダウン。4Rからグローブを外して戦う猪木だが、パンチでスピンクスが優勢。ここからはルールの問題。あびせ蹴りを使う猪木。グラウンドで腕ひしぎを決めるが、ガッツがカウントを取ってなぜかブレイク。8R、猪木がスピンクスの腕を固めた体勢になり、ガッツがカウントファイブ(「スリー」ではなくて)を取った。猪木が体固めで勝利。会場は「シ~ン」としてしまった。一体どういうルールの試合だったのだろう?  どうやら「関節技は禁止」だったらしい(でも体固めはアリ)。猪木がグローブを外したのも何だったか? フィニッシュの瞬間、リングサイドの客はほぼノーリアクション。ややこしいルールの中途半端なものを見せられた気分になったのではないだろうか? 後年、猪木は「当時は目がかすむことが多かった」と語っている。「真剣勝負」というより「猪木はまだ戦えるのか?」がテーマの試合だった、というのが結論。


アントニオ猪木 vs. ショータ・チョチョシビリ

(1989年(平成元年)4月24日:東京ドーム)

アントニオ猪木:特集(14)「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」

(内容)チョチョシビリはグルジア共和国出身。ミュンヘン五輪(1972年)柔道で金メダル。猪木がソ連の高官と交渉して、アマレス選手らを来日させることに成功。チョチョシビリと異種格闘技戦を行うことに。メタリックカラーのガウンで入場の猪木。試合場はロープ無しで鉄柱のみ。猪木は青コーナー。「1R3分 10回戦」。なかなか豪快なパワーを持つチョチョシビリ。裏投げ、首投げ、腕を取る動き、胴絞めスリーパー。ただ、パワーはあるが、器用さには欠ける印象。猪木はやっぱりパワーがない。相手を警戒しながらヘッドバット、低空バックドロップ、あびせ蹴り(スカ)、アリキック、パンチ、アキレス腱固め、延髄斬り、張り手。5R、裏投げで猪木が三度ダウン、KO負け。チョチョシビリがパワーで勝利。しかし、関節技を使うシーンではややもたついた動きだった。猪木は格闘技戦などやらない方がいいと思うような鈍い動き。バックドロップも延髄斬りも効果無しだった。後年、猪木「試合前にソ連側と酒を飲んだのが敗因」と語っているが、試合前から負けていたというのは格闘家として恥ずかしい話だ。

                 

アントニオ猪木 vs. ショータ・チョチョシビリ

(1989年(平成元年)5月25日:大阪城ホール)

アントニオ猪木:特集(14)「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」

(内容)再戦。藤波辰巳と長州力に先導されて猪木がTシャツ姿で入場。大勢のおねえさんから花束贈呈。リングは前回と同様、ロープ無しで鉄柱のみ。「1R3分 10回戦」。いきなり浴びせ蹴りの猪木。チョチョシビリは背負い投げを見せるが、モタモタした動き。と思ったら2R、裏投げ。猪木ピンチ。しかし、一瞬の切り返しで裏十字固め。チョチョシビリがギブアップ。これが結局のところ実力の差か。技の巧さには定評のある猪木。巧く相手の隙を突いた。チョチョシビリは格闘センスに欠ける男。投げ技は素晴らしいものがあったが、フィニッシュしようと関節を取るシーンでは「何をしていいのかわからない」といった感じのモタつきだった。その後、猪木は第15回参議院議員選挙(1989年(平成元年)7月23日)で初当選。リングから遠ざかり、スペシャルマッチ、「イノキ・ファイナルカウントダウン」シリーズ、引退試合へ。チョチョシビリは格闘技を引退後、グルジア共和国で国関連の仕事に就いたが、2009年、白血病で死去。59歳だった。 

リンク

異種格闘技戦シリーズ。「vs. ウイリエム・ルスカ(三戦目)」「vs. キム・クロケード」「vs. ウィリー・ウイリアムス」

日本プロレス時代「アントニオ猪木、ジャイアント馬場 vs. ファンク兄弟」「vs. ザ・デストロイヤー」「vs. ディック・マードック」他

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