世界一のレスラー、猪木についての様々なデータ(追放、新日本プロレス旗揚げ、変化、上昇、異種格闘技戦、タイガーマスク、IWGP)。
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二人のタイガー |
追放
1971年、日本プロレスから追放される(謎の「密告事件」。上田○之助が日本プロレスの幹部に猪木の「会社への反逆計画」を密告した、とか。上田はリングでは悪役だったが、素顔は悪い人ではなかった、という評判。そんな男がなぜ?)。同年11月、女優の倍賞美津子と結婚。結婚式の費用は日本プロレスが負担する、という話だったが、会社を追放されたため、そうはならなかった。
旗揚げ
1972年1月26日、新日本プロレスを旗揚げ。苦難のスタート。新居にするはずだった自宅を道場にしたり、有名な外国人レスラーを招くことができなかったり(日本プロレスとNWAの関係により、新日本は有力レスラーを招聘できない状態だった)。
変化
猪木「坂口なんて三分あれば片手で倒してみせる」、坂口「指三本で猪木を倒す」。そんなやりとりもあったが、坂口征二が新日本プロレスに参加。テレビ朝日で「ワールド・プロレスリング」スタート。馬場も抜けた日本プロレスはテレビを失って消滅。馬場は日本プロレス時代からの「NWAルート」を引き継ぎ、「全日本プロレス」設立。結果的に馬場が日本プロレスを乗っ取った形に。
上昇
元国際プロレスのストロング小林との日本人対決、大木金太郎との因縁の試合、アンドレ・ザ・ジャイアント、ビル・ロビンソン、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンなどの外国人との対戦で新日本プロレスは黄金期を迎える(あるプロモーターから紹介されて招聘したインド系のレスラーが「タイガー・ジェット・シン」となって大ブレイク)。WWFと提携して、団体としてのイメージもスケールアップ。猪木によると、ストロング小林は筋肉は凄かったが格闘するパワーに欠けていた、素晴らしかったレスラーはカール・ゴッチ、ビル・ロビンソン、ゴリラ・モンスーン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ウィルフレッド・デートリッヒ(デートリッヒはアマレスの強豪だった選手でスープレックスが凄かったという。「アンドレはデカいが器用。優しい性格だった」とのこと)。
異種格闘技戦
ボクシング世界王者モハメド・アリへの挑戦を表明した猪木。それを知った柔道ウィレム・ルスカが猪木に挑戦することに。その後、大金を用意してアリとの対戦が実現(プロレス技がほとんど使えない厳しいルールで行われたということだが、そうではなかった、という話も)。その後の異種格闘技路線はアリ戦での借金を返済する目的もあったが、「最強」を証明するため、猪木はパキスタンのアクラム・ペールワン、「熊殺し」ウィリー・ウィリアムスらと勝負。ウガンダの大統領であるイディ・アミンとの対戦計画も浮上したが、これはさすがに無理だった。格闘技で最強を目指した猪木だが、意外なことに「アルティメット大会は興行としては下劣で最低な残酷ショー」と切り捨てている。猪木にとって忘れがたい選手はイワン・ゴメスというバーリ・トゥードの王者。新日本でプロレスを学び、ヒールホールドは彼が新日本プロレスに伝えた技、とのこと。
タイガーマスク
ストロングスタイルの新日本がキャラクターレスラー「タイガーマスク」を企画。新間はジョージ高野を「タイガー」役として想定していたが、猪木は佐山の格闘センスを高く評価して推薦。タイガー人気爆発。そして「猪木監禁事件」(1982年(昭和57年)、梶原一騎に猪木が監禁された事件)。「監禁」と言ってもどこかの檻に閉じこめられたワケではなく、ホテルの一室で梶原らに脅された、という話。「タイガーマスクのキャラクター使用料が猪木側から梶原に支払われてない」「猪木が無断で新しい空手を作ろうとしているのが許せない」というのが原因らしい。カネのトラブルが多い猪木。モハメド・アリとの試合で作った大借金もその一つ。
IWGP
1983年(昭和58年)、IWGPがスタート。「世界一のレスラー」を決めるコンセプトの大会。しかし第1回IWGP優勝戦でハルク・ホーガンのアックスボンバーで失神KO負け(ホントに失神したのか? という疑惑もある。年齢的にはまだまだ猪木にはホーガンに負けないものがあったが)。問題なのは第二回IWGP優勝戦の「猪木 vs. ホーガン」。長州が乱入して試合を台無しに。未だに乱入した理由は不明。
リンク
猪木についての様々なデータ(スカウト、力道山、改名、衝撃の事件、アメリカ遠征、反乱、板橋事件、復帰、不満)
猪木についての様々なデータ(UWF、斜陽、ジャパン・プロレス、暴動、世代交代、ボクシングとの関わり)
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