世界一のレスラー、猪木についての様々なデータ(政治家、北朝鮮での試合、引退、新日本プロレスからの撤退、必殺技)。
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猪木のCM |
政治家
「格闘技だけの人生も、金儲けだけの人生も、私にはつまらない」という猪木。「スポーツ平和党」を立ち上げて政治家に。父親や力道山がかつて政治家を目指した、若い頃から身近に政治家がいた、海外との交流の場では肩書きがあった方が話をしやすい、環境問題に取り組みたい、というのが政治家に転向した理由(要するに個人でできることには限界があった、ということらしい)。イラクで活躍した実績もあるが、妙なトラブルも多かった(1989年10月14日、講演中に暴漢に刃物で襲われ、左の頸部などを負傷)。
(個人的には猪木の政治家時代の話はしたくないですね。ややこしいし、ホントかどうかわからない話が多いから。)
北朝鮮
1995年(平成7年)4月、平和のためのイベントとして北朝鮮でリック・フレアーと対戦。当初はボクサー、ジョージ・フォアマンとの対戦を猪木は希望していたらしい。フォアマンは「(北朝鮮なんて)冗談じゃない」「アメリカと国交の無い国に行くのは愛国心に反する」といった様子だったとのこと。
引退
1998年4月4日。多くのファンが感動したドン・フライとの引退試合。延髄斬りのシーンは今でも鮮明な名シーン。試合後の「この道を行けばどうなるものか」のスピーチは今でも語り草(モノマネされることも多し)。
撤退
2005年(平成17年)11月14日、新日本プロレスの株式(全株式の51.5%相当)を株式会社ユークスに売却し、新日本プロレスの経営から身を引いた。
武器
卍固め(オクトパス・ホールド)
コブラツイストに代わる新しい必殺技として使い始めた。「卍固め」という名は一般公募により名づけられた。
ジャーマン・スープレックス・ホールド(原爆固め)
日本プロレス時代にカール・ゴッチから学んだ、とのこと。あまりこの技が得意ではない猪木。ストロング小林戦で使って首を痛めた。
ナックル・パート
「鉄拳制裁」とも呼ばれる不思議な技。プロレスでは反則である「パンチ」に素人には見えるが、猪木によるとパンチではないらしい。「拳骨の部分ではなく、指の部分を当てているからパンチではない」(アントニオ猪木(談))。
アゴ
若い頃はずいぶん悩んだ、という猪木。しかし、そのアゴはプロレスでは武器になった。特徴的であるだけでなく、技を掛ける時に相手にアゴを当てることによってダメージを与えることができたという。モハメド・アリから「ペリカン野郎」とバカにされたが、猪木は「オレのアゴは尖っているから強い」と言い返した(その時の映像も有名)。
ビンタ
試合で長州力にビンタ連発を食らわしたこともある猪木。レスラー同士ならともかく、次第に素人さんにもビンタするようになっていく。テレビ朝日アナウンサーの佐々木正洋に「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」と言った後にビンタ。「闘魂注入」を求めて猪木にビンタされたい若者が列を作ったことも。
テーマ曲
「イノキボンバイエ」でおなじみの入場曲『炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜』は元々モハメド・アリの伝記映画『アリ/ザ・グレーテスト』(1977年)の挿入曲。アリから猪木に贈られ、それをアレンジしてできた曲。「ボンバイエ」はアフリカ、リンガラ語の「Boma ye」(ボマ・イェ)が訛ったもので、直訳は「(相手を)殺せ」だが「(相手を)やっちまえ」という意味で使われる言葉。アリがザイールでジョージ・フォアマンと戦った時にアリを応援する観客がこの言葉でアリを鼓舞した。「ボンバイエ」という言葉に馴染みの無い日本人には「ガンバレ」と言っているように聞こえる(「イノキ、ガンバレ! イノキ、ガンバレ!」)。意味的には間違っていないから、それでもいいような気がする。
リンク
異種格闘技戦シリーズ。「vs. ウイリエム・ルスカ(初戦)」「vs. モハメド・アリ」「vs. アンドレ・ザ・ジャイアント」
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