2022年7月10日日曜日

アントニオ猪木:特集(2)「猪木の年表」「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」

プロレスを超えた「最強」を目指して他の格闘家とも戦った猪木。数え切れないほど多くの試合をやってきた猪木の代表的な戦いを振り返る。「新日本プロレス旗揚げ:70年代」

アントニオ猪木:特集(2)「世界のレスラー:プロレス専門ブログ」
アリ戦、オールスター戦

新日本プロレス旗揚げ

1972年(昭和47年)3月6日。新日本プロレスの旗揚げ戦。カール・ゴッチに敗退。しかし、後にゴッチをリングアウトで破り、世界ヘビー級王座を獲得。

(結局、「師匠」ゴッチには敵わなかった猪木。ゴッチはテクニックと「馬鹿力」の持ち主だったという)


1973年(昭和48年)

10月13日。坂口征二と組み、ルー・テーズ&カール・ゴッチに2-1で勝利。

(豪華なタッグ戦。日本プロレスを去った坂口が猪木の頼もしい味方に)


12月10日。ジョニー・パワーズを破り、NWF世界ヘビー級王座獲得。

(「8の字固め」が必殺技だったパワーズ。NWF王座はパワーズが作った個人ベルト。この王座にどの程度値打ちがあったのかはわからないが、猪木は後、タイガー・ジェット・シン、ビル・ロビンソン、スタン・ハンセンらとこの王座を懸けて対戦。猪木の「代名詞」となった)


1974年(昭和49年)

3月19日。NWF世界ヘビー級戦でストロング小林をジャーマンスープレックスで下す。

(顔が似ていた猪木と小林。小林は筋肉は凄かったが格闘のパワーに欠けていた、と猪木は語っている)


4月26日。坂口征二と初対戦、時間切れ引き分け。

(坂口は強いがトップを狙うような野心家では無かった。猪木をフォローする役目の方が自分に向いていると思っていたのではないだろうか?)


6月26日。タイガー・ジェット・シンの腕を折る。

(「骨折」ではなく「脱臼」だったと言われている)


10月10日。NWF戦で大木金太郎と対戦、バックドロップで猪木勝利。

(「頭突き野郎」の大木。外国人レスラーにその頭突きを嫌われたため、レスラーとしては大成しなかった、と言われている)


1975年(昭和50年)12月11日。NWF戦でビル・ロビンソンと60分時間切れ引き分け。

(猪木はロビンソンを「素晴らしいレスラー」と評価。これはたぶんテクニックのことだと思われる。しかし、ロビンソンと試合をしたり練習をしたりしたことがあるレスラーによると、目立たないように「妙な裏技」を使う「あまりよろしくない選手」だった、とも)


1976年(昭和51年)

ウィレム・ルスカ、モハメド・アリ、アンドレ・ザ・ジャイアント、ザ・モンスターマンらと「異種格闘技戦」で対戦。

(元々はアリと戦いたかった猪木。ルスカがチャレンジしてきたため、その挑戦を受けた。最初の頃は「プロレスこそが世界一」をアピールするために異種格闘技戦を行っていたが、次第に「興行」のために行われるようになっていったという)


1978年(昭和53年)11月25日。ドイツのシュトゥットガルトでローラン・ボックに判定負け。

(キツいスケジュールの中、ボックが有利になるような状況で行われた試合、と言われている。猪木によると「ボックは性格的に問題があった」とも)


1979年(昭和54年)8月26日。「プロレス夢のオールスター戦」でジャイアント馬場と組んでアブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シンと対戦。猪木がシンを逆さ押さえ込みで仕留めた。

(「馬場さん、今度リング上で会うときは対決しよう」と猪木。思わず「やろう」と言ってしまった馬場。しかし、二人が対戦することは無かった(当然?)。「(試合を)やろう」ではなく「(この)野郎」という意味だったのかも)


11月30日。ボブ・バックランドに勝利してWWFヘビー級王座獲得

(NWA王座に挑戦させてもらえなかった猪木。その代わりとしてWWF王座奪取。しかし、(「WWF」改め)WWEによると「猪木が王者だった事実」は無いらしい。どういうこと?)

リンク

特集(1)

猪木の代表的な戦いを振り返る。「デビュー~日本プロレス追放」

特集(3)

猪木の代表的な戦いを振り返る。「80年代~引退試合」

0 件のコメント:

コメントを投稿